ポイズン イン ザ ハート 1




全体に大柄な兄の真幸と、小顔で長い睫毛が印象的な弟の御幸。


真幸と御幸は双子でも二卵性なので、顔も体格も一卵性のように似てはいなかった。

しかし同じ周波を感じるのは、やはり双子の特性なのだろか。

自分を探す片割れの発信をその心に受け止めて、

―・・・真幸―

小さな声で呟いた御幸。

そして、真幸が現れた。


―・・・御幸、何してるんだ。何でお前、こんなところにいるんだよ!―


双子と呼ぶには違いすぎて、兄弟と呼ぶには近すぎる二人だった。




谷口と食堂に現れた真幸は、御幸以外あれほど緊張していた先生にすら意識が向いていなかった。

御幸は呆然と見つめる真幸から静かに目を逸らし、深く肩で息をした。

そんな無視したような御幸の仕草に、真幸がカッとならないわけがなかった。


「おいっ!み・・・」

「真幸、ちょうどよかったよ。君にも来てもらうつもりだったから、御幸の横に着席して」

突っ掛かって行こうとする真幸を、穏やかな先生の声が遮った。


ここではじめて真幸は我に返ったようだった。

まず先生の方を見て、それからひと通り確認するように周囲を見回すと、最後は渡瀬のところで視線が止まった。

「・・・あ、そうか!渡瀬か!謹慎は夏休み前だったもんな!何か連絡事項とか伝えに来たんだろ!?
御幸、また委員長押し付けられてんだぜ!わかってんのか!?渡瀬!」


あ、そうか!と早口に捲くし立てる真幸の憶測を、みんな黙って聞いていた。

そしてそれが全く今の状況と噛み合っていない憶測であることに、谷口は気付いていた。

先生と向き合って座っている御幸と、先生から離れて座っている渡瀬。

御幸の目の前に置かれているタバコとライター。

たぶん、真幸本人も・・・。


「渡瀬っ!!何とか言えよ!!」

無意味に怒鳴り散らす声に、確信の無さが表れていた。


「真幸、着席。聞こえなかったかい?」

二度目の先生の声は、穏やかであっても重く響いた。


「あ・・・はい・・・」

三度目がないことは、この学校の生徒なら誰でも知っている。

真幸はまだ混乱した表情を残したまま、御幸の横に座った。


「谷口、ちょっと」

次に先生は谷口を呼んだ。

「・・・あ?はい!」

渡瀬との電話である程度察していた谷口は、真幸を連れて来た時点ですぐ帰る心積もりをしていたようだった。

呼ばれるとは思っていなかったのか、返事にも緊張の様子が見て取れた。


「皆に飲み物買って来て。それとこれ、テーブルが狭くなるからね」

先生はテーブルに置かれた鉢花の方に目配せをしながら、千円札を差し出した。

「はい」

何事かと思ったことは、先生の小間使い的な用事だった。

しかしそれで谷口の緊張が取れると
いうわけでもなかった。

それほど食堂全体を包む雰囲気は、重く張りつめていた。



谷口は先生からお金を受け取ると、先に鉢花を移動させるべく抱え上げた。

食堂の先生の座るテーブルには、いつも何かしらの花が飾られている。

濃い緑の葉にピンクの花びらが明るい色合いで映えている鉢花は、見たことはあるのに名前が思い出せなかった。


「痛っ!・・・」

「ん、指?気を付けて持たなきゃ刺さるよ。ほら、茎のところにトゲがあるだろ」

すでに意味のない先生の注意に、谷口の口元が歪んだ。

「・・・・・・今、気が付きました」

二拍ほどあけた間の中に、精一杯詰め込んだ憤懣も、

「雑に持つからだよ」

ひと言で一蹴されてしまった。

もっともそれはいつものことだけど、いつものことだけに先生と谷口のやり取りは少なからず周囲の重苦しい空気を和らげた。



「だけどほんとに、君たち似てないよね」

谷口が後ろの自動販売機で飲み物を買っている間、先生も一旦話を区切って雑談を始めた。

「・・・二卵性ですから」

答えたのは、真幸の方だった。

「そうなんだってね。僕は、双子は似ているものだと思っていたから、何だか不思議だったよ。
え〜っと・・・お兄ちゃんの方は、真幸だったかな」

「・・・はい」

「御幸は真幸のことを、お兄ちゃんって思ってる?」

先生は似ていない双子の関係を、興味深そうに訊ねた。

「え?・・・いえ。両親からも一応戸籍上のことだからと・・・あまり意識したことはありません」

御幸は真幸の方を見ることなく答えた。

「ふ〜ん、じゃあ真幸は?僕にも弟がいるんだけど、弟って可愛いよね」

先生は照れもせず、童顔を綻ばせた。

もし和泉が聞いていたら絶対照れるだろうなと、先生の笑顔につられるように僕も口元が緩んだ。

渡瀬は肩を大きく上下・・・・・・それは見ない振りをしてそっと視線を戻すと、真幸が畏まって答えていた。


「俺・・・あ、僕も御幸と同じです。御幸に対しては弟という感覚はないので・・・。
可愛いとか、そん
な風に感じたことはありません」

二人が互いにあまり兄、弟の意識を持っていないことは、僕たちの間でも十分認識出来ていることだった。



「先生、買って来ました」

谷口はトレーに載せた飲み物を一つ取って先生の前に置くと、おつりを渡した。


「・・・あれ?谷口は?」

「いえ、俺は・・・」

たまたま真幸と一緒にいたから連れて来ただけという立場が、谷口に長居することを躊躇わせているようだった。

しかし先生はそんな谷口の躊躇いなどまるでお構いなしに、返されたおつのりの中からもう一度飲み物代を渡した。

「どうして?ほら、谷口も買っておいで」

「・・・はい。ありがとうございます」

百円玉一つ握らされた谷口は、結局自分の分も買って僕の隣に座った。

その際に聞こえてきた呟きについては、あえて聞き流した方が無難なような気がした。


「俺は流苛か・・・。けど、俺もここに居て良いのかな・・・良いってことだよな・・・。くそっ、肝心なことは言わねぇんだからな」


御幸が夕陽の輝きを背に花屋の敷居を跨いでからすでに数時間、外は宵の闇に包まれていた。



高等部からも中等部からも、離れた立地に建つ先生の宿舎。

明るく照らされた食堂の窓が、木々に囲まれた暗闇の中に浮かぶ。

室内では蛍光灯の白光色が、先生を含む僕たち六人の表情をありのままに映し出していた。


「真幸、突然だったから驚いただろ?自販機のだけど、どうぞ。御幸は咳きが出ていたようだけど、大丈夫かい?」

「・・・あ!はい。・・・すみません」

黙ったままの真幸に、慌てて御幸が答えた。

「別に謝ることじゃないよ」

先生はゆったり構えながら、紙コップのコーヒーを美味しそうに飲んだ。


「ん?真幸、飲まないのかい?それともお腹空いたかな。何時?・・・もうこんな時間だね。ああ・・・ちょっと、谷口」

「はい!」

当然のように呼びつけられて、ふっと吐いた息に谷口の思いが読み取れた。

―・・・だよな。雑用は全部俺だよな―


「おばちゃんに今日の夕食は六人分用意し・・・」

「先生!!食事なんてどうでもいいです!!」

雑談から一向に話を進展させない先生に、痺れを切らした真幸が大声を上げた。

慌てたのは御幸だった。

「ま、真幸っ!声が大きい!」

「うるさい!だから俺は早く家に帰ろうって言ったんだ!お前がぐずぐずしているからこんなことに巻き込まれるんだろ!」

真幸は荒々しく御幸の胸ぐらを掴んだ。

いままで二人の口げんかはよく見て来たが、手が出るのを見たのは初めてだった。

いやむしろ・・・二人の体格差から、そうならなかっただけなのかも知れない。

止めなければ!

咄嗟に腰を浮かせた瞬間、

「聡!」

渡瀬の声がした。

その声は僕を呼んでいるというよりも注意を促す、そんなニュアンスだった。

浮いた腰がストンと椅子に沈むと、真幸の背中越しに微笑む御幸の顔が見えた。


「巻き込まれたのは渡瀬の方だ。巻き込んだのは、僕・・・。真幸、もういいんだ」

「お前・・・何がもういいんだっ!いいわけないだろう!こんなっ、こんな・・・」

真幸は何度も頭(かぶり)を振りながら、力任せに掴んでいた御幸の胸ぐらを放した。


「真幸、君は御幸の喫煙を知っていたね」

それまで二人の様子を黙って見ていた先生が、今度こそはっきりと喫煙の言葉を口にした。


「・・・あのっ!お、俺です!これ・・タバコ!本当は俺なんです!
御幸が吸えるわけないんです!喘息気味で、しょっちゅう咳き込んで・・・ほら、今も・・・!」

真幸は目の前に置かれているタバコに手を伸ばすと、誰が聞いてもわかる嘘を最後は掠れる声で先生に訴えた。


「君が御幸を庇おうとする気持ちは分からないでもないけど、それで御幸が救われると思うの」


「ぁ・・・・・・」

真幸の掠れた声は、言葉にならなかった。

・・・言葉が見つからなかったのだ。

言葉を詰まらす真幸と、テーブルに両肘をつき手のひらで顔を覆う御幸。

先生は二人のそんな反応にも、表情ひとつ変えることなく言葉を続けた。

「御幸、真幸が君の喫煙を知っていたからといって、連帯責任に問われるなんてことはないから安心していいよ」

御幸の顔を覆っていた手が外れて、長い睫毛の瞼が開いた。

「先生・・・真幸は、何度も僕に喫煙を止めるよう言っていました。
夏休みの帰省を急いでいたのも、僕の喫煙が周囲にばれるのを恐れていたのだと思います」


今度は真幸が黙る番だった。

がっくりと俯きながら、椅子の背もたれに力なく体を預けた。


「そこまで真幸の気持ちがわかっていたのに、止められなかったのは?」

「いつでも止められると思っていたんです。渡瀬たちのことがあった時、
怖くて出来なくなって自分では止めたつもりでした。でも暫くすると、また・・・手にしていました」

「それが中毒なんだよ。この一本が常習性を誘う・・・タバコって怖いだろ」

先生はテーブルに置かれたままのタバコから1本を抜き取ると、目の高さに突き出して示した。

そして、

「渡瀬が何故ここで君を待っていたか、わかるかい?」

そう問われた御幸の目に、涙が滲む。

「渡瀬は・・・ずっと僕の体を心配してくれていました。はっきり喫煙を指摘されたときも、
体を潰す前に断ち切れと身を以て道筋をつけてくれた・・・うっ・・・感謝しています」

「それは結果としてね。渡瀬がこんな方法でしか君に伝えられなかったのは、時間がなかったからだよ」

「・・・時間がなかった?」

「君には既に喫煙の嫌疑が持ち上がっていてね。
ある程度確証が整ったところで、近々呼び出す準備に入っていたところだったんだよ」

喫煙の嫌疑!?

御幸本人は勿論、真幸も谷口も僕も一様に驚きを隠せなかった。


「誰が・・・誰が御幸の喫煙を言ったんですか!言いつけた奴は誰ですか!」

それまで黙っていた真幸が、身を乗り出すようにしてまた声を荒げた。

「真幸!筋違いな発言は慎む!」

バンッ!!

先生は即座に手のひらでテーブルを叩いて真幸を制した。


「・・・ごめん、真幸。お前にまで迷惑掛けたことは後でちゃんと謝るから、もう口出ししないでくれないかな」

「迷惑って・・・謝るって・・・何だよ、それ。俺はそんなことこれっぽっちも・・・」

先生に注意され、御幸に拒まれ、真幸の行き場の無い思いが膝の上で震える握り拳から溢れ出ていた。


「先生、すみませんでした。真幸は身内びいきが強いので、つい・・・。
僕は誰を恨むなど毛頭ありませんし、またそれが誰なのか知りたいとも思いません」


「君の気持ちは、わかってるよ。真幸のこともね」


真幸のことも・・・。

ふと、不思議な感覚が過った。

御幸のことなのに・・・先生は二人に向き合っているように見えた。



「谷口」

「はい!」

あ、うんの呼吸のように、谷口が先生のところへ行く。

「これはもう必要ないね」

先生は御幸にそう言うと、

「そっちの引き出しに仕舞っておいてくれるかい」

目の前のタバコとライターを谷口に渡した。


「ああそれから・・・御幸、もうひとつ。渡瀬は時間がなかったからこそ、君の良心に掛けたんだよ」

「僕の良心・・・」

「そう、良心の呵責にね。苦しかっただろう?御幸」

「・・・・・・」

言葉にならない思いが、また御幸の長い睫毛を濡らす。

渡瀬はただ黙って、聞いているだけだった。

余計な言葉も挟まない、それが今の自分の役割なのだと信じて。


・・・その渡瀬の袖を、こっそり谷口が引っ張っていた。

「おい、渡瀬。そっちの引き出しって、どれのことだ?」

「・・・空いている引き出しだ」

「つまりその辺の空いている引き出しに、仕舞っておけばいいんだな」

「ああ。但し、覚えておけよ」


やり取りだけを聞いていると他愛のないことのようだけど、二人が顔を突き合わせている姿はとても真剣に見えた。

渡瀬も谷口も、ここに居ない三浦だってそうだ。

三人三様、ちゃんと役割を果たしている。



こういうことなんですね、先生。


自分たちの友達や自分たちの周囲、彼らが係わる全ての人たちの中で、自分のすべきことを考えながら探りながら。


―君が生きている意味は 君の人生の中に

君が係わる 全ての人たちの中に―


人生の生き方の、答えがある。







「先生、僕は今とても楽です。渡瀬の再犯の汚名については、心配はしていません。
彼のことで
すから、すぐ晴れると思います」

御幸の顔に、ようやく本来の微笑が戻った。


「楽か・・・。確かに随分楽にはなっただろうけど、だけどまだ全部じゃないよね」

先生はまだ、御幸の言葉を本意とはしなかった。


まだ


そのひと言が、微笑みの下に隠れた御幸の心の奥底を引きずり出す。


「・・・喫煙のことも渡瀬のことも、こうして全部本条先生に話しました。もう他には何もありません」

「他の隠し事を疑っているんじゃないよ、タバコに手を出した動機だよ」

「あの・・・ですから最初に話したように、高二の夏休み帰省していた時に・・・」

「うん、聞いたね。でもそれは行為であって、動機じゃない。僕が聞いているのはここのことだ」

先生は親指で自分の胸の辺りを突いた。


動機=すなわち心理的な原因。


御幸に、先生の言わんとすることがわからないはずはない。

ここ≠ニ指差す先生の胸を凝視していた御幸は、やがてゆっくり視線を下に落としながらぽつりぽつりと語り始めた。


「特別何かがあったわけじゃないんです。風邪が長引いて試験に響いたり、
クラスメイトと上手
くいかなかったり・・・そんなことが続いて何もかもが鬱陶しくて・・・」


元々が神経質な御幸には、例え小さなイライラでも積み重なると大きな負担となって圧し掛かった。

気分が優れない日々が続く中、夏休みに入り二人は家に戻った。

近所の幼馴染みたちと毎日のように遊びに出掛ける真幸に対して、御幸は読書をして過ごすのが日課のようになっていた。

家に帰れば少しは気分も回復するかと思ったが、期待したほど効果はなかった。

そんな時だった、いつものように本を借りようと父の書斎へ入った。


「机の上の置きっ放しのタバコに目が行きました」

御幸は書斎でタバコを吸う父を、時々見掛けることがあった。

彼らの父親は書斎以外の場所では吸わなかったが、隠すということもしなかった。

その姿はとてもリラックス・・・いや、何かから解放されているように見えた。


「何かからの解放・・・それが仕事のストレスだとわかったのは、父のタバコを一本抜き取った時です」

高二の夏休み、父の書斎で手にしたタバコ。

御幸の脳裏に焼き付いていた、ストレスから解放されたような父の姿。


「君たちのご両親は、お二方とも研究所にお勤めなんだってね」

当然のことながら、先生は御幸たちの家庭環境についても確認出来ているようだった。

「はい、父も母も同じ企業の製品開発の研究員です。
競争の激しい業界なのだろうと思いま
す・・・忙しい時期は帰宅が深夜ということも度々です」

「タバコは一時的にストレスを緩和するんだよ。嗜好品だし、それは自由だ。
但し、法律で定め
られた年齢を過ぎていればね。わかるね、御幸。君のお父さんと君は全然違う」

「・・・はい」

成人と未成年、一線で物事は正反対になる。そこを御幸は注意されたのだ。


「飲酒しかり、それが害≠含む物に対する社会のルールだ。渡瀬!谷口!」


「はい!」

「はいっ!」


彼らも、また。



「さて、それじゃこれで解散しようか。御幸も今日は寮へ帰っていいよ」

「えっ?良いんですか・・・」

あまりにもあっさり終わって戸惑う御幸同様、僕たちも顔を見合わせた。

真幸だけが、やや焦った様子で先生を引き止めた。

「あのっ・・・!先生、ちょっと待って下さい!」

「何?」

「御幸はどうなるんですか?」

「まだわからないよ。とりあえず謹慎にはなるだろうけど」

先生は真幸の焦りを煽るかのような、至って冷静な口調だった。

「謹慎・・・でも!渡瀬たちと同じなんだから一ヶ月程度ですよね!」

「ちょっと・・・真幸っ!」

興奮して立ち上がろうとする真幸の服を、慌てて御幸は掴んで引き止めた。


「わからないって言っただろ」


「何で・・・そんなのおかしいじゃないか!!」

とうとう真幸が先生に喰って掛かった。

「真幸っ!頼むから・・・関係ないのに口を出すなよ!」

「関係ないことねぇだろうが!!」

真幸は怒鳴りながら、服を掴まれている御幸の手を乱暴に振り払った。


「おいっ、真幸!お前は体も声もデカイんだから、もっと手柔らかにしろ!」

ここは真幸と仲の良い谷口が止めに入った。

「谷口・・・なあ、どんなふうにしたらお前らと同じくらいで済む?どう先生に取り入ったらいいんだ?教えてくれよ!谷口!」

真幸の言葉に、谷口は何も言えない顔で黙ってしまった。

時として人は、自分の意としないことを口走ってしまうことがある。

真幸、君は僕に言ったよね。


―聡なら知ってるだろうけど、あいつ謹慎になっただろ。
それからだな、こう・・・何ていうか一生
懸命なんだ。前は適当に力抜いてるようなところがあったんだけどな・・・・―


「谷口、安心して、真幸はちゃんとわかってる。
君たちがどんな一ヶ月を先生のところで過ごし
て来たか。そうだよね?僕は真幸から聞いたよ」

「うん、言った。その時はそう思っていたからな」

真幸・・・?

「そう言えば前に、聡に購買部ついて来てもらったことあったよな。そこで先生と出会って」

「そうだったね。風邪で具合の悪かった御幸のために食料品を選んでいたら、偶然出会ったんだよね」

「本当に偶然だったのかな」

「どういうこと・・・・・・」

「・・・俺を会わせたんじゃないの?購買部に来てますとか・・・携帯で連絡くらいお手のものだろ。
聡も先生に、ひいきにしてもらってるみたいだしさ」


真幸?

・・・真幸!?


復学後に二人と出会ったのは、医務室の待合室だった。

真幸が笑顔で呼び掛けてくれた。


―おっ、聡!久し振りだな!―


それからも何度か、会えば真幸はいつでも優しかった。

御幸を気遣うのも、


―ん・・・何かまた咳きが出だしてさ、聡はやめた方がいい。
それより購買部について来てくれ
よ、御幸の食べられそうなもの買ってやんなきゃいけないんだ―


僕を気遣うのも、


―すぐ買って来る、聡は雑誌コーナーにでもいてくれたらいいから―


僕の友達に対しても、


―いいって、いいって。聡の友達も足止めさせて悪かったな。ほら、つかまれ。全くお前は・・・聡の方がよっぽど元気だぞ―


真幸は同じ優しさを示す。


僕がわざと意地悪な返事をしても、一瞬困った顔をしただけでやっぱり君は優しかったよ。


突然人格が変わってしまったように、真幸が皆に襲い掛かる。

肉親を守ろうとする愛が、猛々しい猜疑の渦となって。



「もう・・・もう止めろよ・・・真幸。お願いだから・・・」

御幸が懇願に近い形で真幸を止めようとした矢先、


「聡っ!御幸は寂しかったんだよ!」


僕は腰が浮くほどの強い力で、胸ぐらを持ち上げられていた。


「止めろ!!真幸っ!!聡は関係ないっ!!」

御幸の絶叫が響き渡った。


「御幸はいつもお前の見舞いに行きたがってた・・・。
でも病気が深刻な状況にあったから、学
年代表一人だけで、他は学校側の許可が下りなかったんだ!
どうして渡瀬なんだよ!!」



「真幸!!落ち着け、ばか!!聡を離せ!!」

谷口が真幸の後ろに回り込んで、羽交い絞めで僕から引き剥がした。


「聡と仲が良かったのは渡瀬より御幸だろ!勉強だって御幸は渡瀬に負けちゃいない!
それ
なのに・・・その頃からだ。御幸のイライラが増しはじめて、気が付いたらタバコになんかに手を出してやがった・・・」

そうだよ、御幸は僕が休学する前から休みがちな僕の為にノートを取ってくれたり、追いつけない科目の勉強を見てくれたり、ずっと気に掛けてくれていた。

僕は・・・自分のことばかりにかまけて、大切なものを忘れてしまっていたんだ。

僕が傷つけてしまったのは、御幸だけじゃない。


「ごめんね、真幸・・・」


「お前、聡に八つ当たりしてどうするんだ。これは御幸の問題だぞ。お前のしていることは御幸を守るどころか、苦しめているだけだ」

羽交い絞めの手を緩めながら、谷口は友達として忠告したつもりだったのだろう。

だが谷口には、真幸の顔が見えていなかった。

真幸の顔は、苦しく歪んでいた。


「俺が・・・俺が!!いつ御幸を苦しめた!!御幸を苦しめてるのは、お前らじゃねぇか!!」

怒鳴り声と共に、真幸の体が大きくはねた。

ガダーンッッ!!

突き飛ばされた谷口が、後ろのテーブルに激突したような大きな音がした。

「この野郎・・・痛っ・・・」


「ちくしょぉっ!!おかしいと思ったんだ・・・。
聡が戻って来たのにいつまで経っても御幸は塞ぎ
込んでるし。そしたら・・・渡瀬たちと一緒じゃ、そりゃ御幸は遠慮するさ」

再び詰め寄って来た真幸は、今度は僕の両腕を掴んで大きく揺さぶった。

「くそっ!御幸は何も言わなくても、谷口からお前のことはよく耳に入って来たぜ。遅せぇんだよ!
何ですぐ連絡してやらなかったんだよ!御幸はずっと待っていたのに!聡っ!!」



真幸は怒っているはずなのに、腕を伝ってくる痛みは遥かに辛く悲しくて・・・。


「ごめ・・・まさ・・・き・・・」


聡!聡!≠ニ幾度名を呼ばれても、揺さぶられても涙が溢れて言葉にならなかった。


体を起こした谷口が、必死で真幸にくらい付く。

「真幸!!いい加減にしろ!!聡に突っ掛かるな!!っ・・・この馬鹿力が!!」

谷口が引き離そうとしても硬直したように、自分ではどうしようもない力が働いているのだろう。

真幸の眼がそう訴えている。


誰か・・・真幸を助けて・・・。


刹那、


ズダ―――ンッッ!!


真幸は思いっきり後ろに引き摺り倒されて、仰向けに床に叩きつけられた。


御幸はもはやテーブルに顔を伏せて咽び泣くばかりだった。

谷口は途方に暮れた顔で立ち尽くし、渡瀬だけが席を動くことなくじっと状況を見守っていた。


「・・・先生、僕は・・うぅっ・・・」

「大丈夫だよ、聡君。その涙の先には、きっと君の求めているものがある」

先生は僕の頭をクシャッとひと撫ですると、床に這いつくばる真幸の前にしゃがみ込んだ。


「真幸、そろそろ御幸をストレスから解放してあげないとね」


見境なく取り乱したことにまだ収拾のつかない様子の真幸は、口籠りながら頭を持ち上げた。


「だから・・・俺・・・」


「うん、だからまず君が御幸から自立しないと駄目だろ」


真幸の動きが止まった。

思考さえも止まってしまったかのように。

瞬ぎ(まじろ/ぎ=まばたき)もしない真幸に、更なるひと言が付け加えられた。



「依存ともいうかな」



御幸の涙に濡れた顔が上がる。

「聡・・・聡の言う通りだ。もう誤魔化せない・・・自分自身を。何もかも・・・」


何もかも・・・


御幸が心の中の毒を吐き出す覚悟で見つめた先は、先生だった。








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